主権者; 世主ら❗; 松により藤❗ ; 道義公方❗ 。 解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗

           ☆       松により藤❗     ;         道義公方❗  ;

       ◆     その当時の様らを息遣いする日記ら❗  。 
   解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗
       19/    8/4   16:8     ;
1441年、 の、 嘉吉の変 、 での、
    公方への暗殺の前後     : 
      傭兵らから常備軍の都市国家ら 26    ;
       2015/   8/23    23:55:57     ;

※ 御内書    ごないしょ   :
…将軍が発給する、私文書。 

    やがて、時代が下ると、 
   御教書    みぎょうしょ    ;
   ≒       公的な文書  、に取って代わる様になる。 

     これらの書状を、将軍から下される事は、
    武士としては、 喜ばしい事、この上ない。 

    すると、 その義教将軍の厚意に、
    畠山満家氏は、 
「    ありがてぇ。 かたじけねぇ。  とんでもねぇ    」     ;
    ≒ 
   「    種々   クサグサ  、 畏申入也    」 
   、 と、感謝しきり。

     それを聞いて、 さらに感極まった、
   義教将軍は、 
   「    ぬおー、もう、これ、あげる❗。
    この太刀をあげる❗、 取っとけ❗    」  ;
   ≒ 
「     此事   このこと   、 尚々   なおなお   、   御感之餘   ギョカンのアマリ 、
     御剣・御腰物、 被下畠山也    はたけやまへ 下されるなり    」 
   、 と、御剣を下賜した。 
      そうしている間にも、 一色義貫どんの、 
   「    俺が、 先頭だあー❗    」  、 という、
    一途な理不尽さは、勢いを増していく。

         山名時煕氏が、  再三に、説得すると、 
   「    判った。   なら、  "  上意に従ってくれて、有難う  "  って、
   御書をくれ。   もしくは、謁見して、 口頭でも、OK❗   」   ;
「     今度  こたび 、  以別儀   べつぎをもって、 
    罷随仰條   おおせのじょう    ;
≒     おっしゃっている通りの事ら     、 
   尤   モットモ   、  以神妙之由    しんみょうのよしをもって 、 
   被下御書歟    ごしょを下されるか 、
    不爾は、  被召御前    ごぜんにめされ     」 
      。 
     これを通したら、 さすがに、 
    足利幕府内の規律の崩壊の始まり、
   にも、 成り兼ねないので、 
    義教将軍は、  承引をしなかった。 

      右大将での拝賀、への、2日前。 
   義教将軍の所へ参じた、
    満済准后   ジュゴウ   、 と、山名時煕氏。 
  「    一色の事なのですが、 その、
 …お腹とか、頭とかが、痛くて、
  明後日は、欠席だそうです    」 。 
    「   そうか…   」   ; 
      ≒ 
   「     雖然所労更発之間     ;
≒     病が更に出た為に 、 供奉   ぐぶ 
        難叶由    かないがたき・よし    申上者、  不被及力    」
      。 
     7月25日の、 右大将拝賀の儀は、 
  公武共に、 滞りなく進み、ひと先ず、
  めでたし、だったが、
  一色義貫氏への処分が問題となる。

    仮病での、 ボイコットですからね。

    √     義教将軍から相談された、
    山名氏と畠山氏の意見は、 
   暫被止出仕   しばし、 出仕をとめられ 、
   追所領一ニヶ所も、 可被借召歟    かりめさるべきか    」 。 

     一方…、 
   畠山満家氏   : 
「    お諫めになるのは、尤もですが、
   お許し頂けると、 私としても、  忝   カタジケナ  い 、です    」    ; 
≒ 
  「     御切諫 (※) 事は、  雖尤候    モットモにそうろえども 、
    可被閣是非條、  於身可畏入、云々    」 
   、 って、  ええー?❗、 またかよ❗ 、
    喧嘩を売られたのに、 逆に、
   一色氏の為に許しを請うてるよ❗   : 

    ※ 切諫 せっかん 、…強く諫めること。 
   「   折檻   」、も、元は、
  " 口頭で厳しく諫める "  、という、
     意味の、 故事成語です。 

    現在の様に、"   子供に、体罰を伴う、 叱責を加える  "  
   、 という、意味ではないので、注意です。 

       義教将軍が考えていたのは、 
  幕府の、ひいては、天下の秩序 、です。

   「    あの自分勝手な振る舞いに、
  お咎めが、無しでは、 関東や九州へも、
   示しがつかないんじゃないかな?    」   ;
≒ 
「     今度   こたびの  振舞、 違背上意   じょうい・に・いはいし、
    任雅意    がい・に・にんじた  條、 無御切諫   おんせっかんなき
    、は、
   関東、鎮西へ聞も不可然由   しかるべからざるよし 。 
   被思召如何   いかが・おぼしめされ     」  。  

   「   公方の威厳   」や、「   武家の家格   」
   、 というのは、 別に、下を見下して、
  気持ち良くなりたいが為の物ではなく、
  社会の秩序を保つ為に必要な、
   『   礼節   』  、 です。

   上に立つ者は、畠山満家氏の様に、
   謙虚でなければならない。
   傲慢な者は、上に立つ器に非ずです。

      畠山満家氏は、 
「     お咎めなしでも、後難を残す事も、
公方様の威勢が、 失われる事も、ありません     」
    、と、 やはり、
一色義貫氏の為に、赦免を請う。 

    そろそろ、一色氏にも、
 この気持ちが、届いてきたでしょうか? 、
   
   彼は、 昼は、資財を、他所へ避難させ、 
   夜は、甲冑を装備して、
「    いつでも来いやー❗ 、  迎え討ってくれるわ❗、 切腹上等❗     ;
≒ 
  「    被下打手   ウッテをくだされる 、  を一箭仕   イッセン  つかまつり 、 
  可切腹由   セップク  すべきよし 、 其沙汰    」 : 

     …しかし、 畠山満家氏の器のでかさは、 
    その斜め上を行った
     。 
   彼は、 斯波、細川、山名、赤松氏
  、 などの、 大名らへ呼びかけ、 
「    どーか、 一色をお許し下さい。 
この通りです。 奴は、 ちょっと、
未熟なだけなんです。 お願い❗、 本当に❗    」  、 と、 
   大名らの一同による嘆願、 という、
   奇策に出て、 義教将軍も、
  その誠意を受け入れた。 
      めでたし、めでたし❗。

   「    堂々と、雅意    ;       我意      ;         、を主張して、
  憚  ハバカ  らない、 一色義貫氏に対して、 癇癪を起こす事なく、 
大名らに意見を徴しながら、 
秩序を第一に考える、 義教将軍の正しさは、 すごい❗    」 
   、 …って、良い話で、終わらせたいが、 

   「    畠山の後ろとか、ねーよ❗、  絶対、ねぇ❗    」 
   、と、  挑発されているにも関わらず、 
  最後まで、一色を庇い続けた、
   畠山満家氏の仁徳に、
   全てを持ってかれた感じ…。 : 

   これも、 本来的には、幕府の為、
   公方の為であるのでしょうが、
   それにしても、徳たけぇww 。

     時系列的には、   「   一色の事   」→
「   上御所   」→ 「   延暦寺   」→ 
「   鎌倉の永享の乱・結城合戦   」
   、 の順です。 

    冒頭で、 触れた、 
「    第6代の征夷大将軍の政道、への、
   誠意を誓う、大名たちと、
 それに歓喜する義教将軍    」、 の話は、 
「   一色   」、と、「   上御所   」、 との、
     間の事で、 
    重鎮たちが、 相次いで、 世を去るのは、 
  「   延暦寺   」 、 の前後です。

     √   「   恐怖の暴君   」 、 なんて、
    イメージに邪魔されて、
見て見ぬ振りをされているが、
     義教将軍、 の、 
  "  良い人な逸話  "   、 は、 歴代将軍でも、
   トップ・レベルか、と思う。 

    例えば、 畠山満家氏が亡くなった時の、
   落胆ぶりや    ;
   ≒   
「    御力落之由   おちからをおとすのよし 、 種々仰 くさぐさ おおせ 、云々   」 : 
『 満済准后日記 』、の、 永享5年9月19日: 

      満済准后の死を深く悲しむ様子は、 
≒     「    公方 クボウ 、殊御周章 ことに、 ごしゅうしょう、云々   」、 
「   以外、御悲歎、 云々   」、 
『   看聞日記   』 、の、 永享7年 、 の、
6月13日、 15日 。 

     畠山満家氏と、満済師は、
    諫めの言葉を含めた、助言らで、
     義教将軍を支え続け、 
     しかも、 
 道理と人徳を身に付けた人物でしたから、 
    正しい政道を目指す、義教将軍が、
  彼らの死を殊更   コトサラ   、
   嘆き悲しんだ気持ちも、よく判る。 

…というか、 道義のある、
正しい人を重用する、 暴君なんて、
聞いた事が、 ありませんw。

    ホント、 義教将軍への評価は、
  矛盾と誤認が、多過ぎます。 
  知れば知るほど、 ハチャメチャです。 

    特に、 前年から、体調を崩しがちだった、
  満済准后の事は、 とても心配だった様で、
    自宅で、病床に伏す満済師の所へ、
   大名たちを伴って、自ら赴いたり、 

   ※ 当時、 征夷大将軍が、
自邸に訪れる事は、 『   御成   』   ; 
   ≒     おなり     ;       、 といって、
    非常に光栄な事でした。

     ただし、 基本的には、 
   酒宴の席を設けて、大々的に接待する、
  儀礼的要素が強い物で、 私的な来訪は、 
    "    特例   "    、 といえます。 

      例えば、 義教将軍から、
   病への見舞いの来訪を受けた、
   畠山満慶氏     ;
≒      能登の畠山、満家氏の弟      ;
   、は、 
こんな感想を…
≒    「    生前、面目、畏入候     ;
≒      生前に、この様な栄誉、  本当に畏れ多い    」    ;
   、 
  『   満済准后日記   』、の、
    永享4年6月24日。 

     病床の満済師へ、医師を遣わせたり、
  諸社   ≒     諸々の神社    、へ、
   神馬を寄進して、 祈祷をさせたり、
    病状が回復すれば、医師へ、
   太刀と馬を送ったりと、凄いです。

      もっと、凄いのは、 
  その義教将軍の懇意に対する、
    満済師の喜びようです。

   『   満済准后日記   』 、 は、
政務に関する真面目な記述らが多く、
  自身の感想は、あっても、
ごく控え目なのです
   が、
その中にあって、 異彩を放っています。 

          例えば…、 
    「    予、落涙外、無他事     ;
≒      ただ、ひたすら、  涙が流れる、ばかり    」
  、 
   「    …眉目過分至、真実真実、
   言詞難及 およびがたし、 無身所置      ;
   ≒     
   身の置き所なし、 云々 うんぬん    」
≒ 
   …満済准后   ジュゴウ  の病、への、
    平癒の祈祷の為に、 義教将軍が、
    諸社に、神馬を寄進した事を聞いて…、
    身に過ぎる栄誉、 本当に本当に、
    言葉にならない、 身の置き所がない。 

    「    公方様渡御、 此大雨中、長途遙々、
    光儀、 時宜趣、言詞更難覃、 
  眉目過分此事此事、 只落涙千行、 
   顔色體聊被御覧   ごらんになられ、 
  直御悦喜之由    ただ、ごえっきのよし 、
   再三被仰   おおせられ 、 忝   カタジケナク 、
    不知手足舞踏 てあしが舞い、
      踏む所を、知らず    」    ;
      ≒
     この大雨の中、 遠路遙々、 公方様が、
   見舞いにいらして下さった。 その御心    ;
≒     の、あり難さ      、 は、 とても、
     言葉では、 表現できない。 
   過ぎたる栄誉とは、正に、この事、
    涙が溢れて止まらない。 
   私の姿を御覧になられて、その喜びを、
    何度も仰せられる。 
   有難くて有難くて、舞い上がる思いだ…

    『   満済准后日記   』、 の、 
  永享6年の3月18日、22日、4月15日、
    28日、6月3日、など。 : 

     極めつけは、 永享7年の、
     3月27日の出来事。 
     諸寺社を参詣しながら、 再び、
  体調を崩した、 満済師の病、への、
  平癒の祈願を続ける、義教将軍。 

     六条八幡宮を訪れ、さて、
  立ち去ろうとした、その時に、 
  浄衣へ、 蜘蛛が降りてきたのを、
  「   満済師が、直ぐにも回復する吉兆   」
   、 だとばかりに思って、 喜びます。 : 

   ※ 浄衣 じょうえ …☆
   神事や、法会   ホウエ   等の際に著る、
   白い狩衣などの、清浄な装束。 

    その話を聞いた病床の満済師も、
  「   落涙千万行ばかり也   」 
     。
     それから、 2か月半後に、
   満済師は、 帰らぬ人となる。 
    義教将軍の落胆は、
  どれ程だったでしょう。 

        ≒ 
   【     人々の命と健康性とを成し続ける、 のに必要な、 
    代謝ら、の、各々を、
   合体して、 成し合う、
    代謝員ら、である、
    酵素    コウソ   、 らにも成る、
   タンパク質   、  ら、と、 
   補酵素    ホコウソ   、な、  ビタミン 、 らや、
  補因子 、な、 ミネラル 、 らへの、
   日頃の、 摂取らにおいて、
   そうした、 あるべき、 代謝ら、の、 どれ彼を成す、
   事へ向いてある、
     あり得る、合体の度合い、 を、 一定以上に成す事を、 
     必要な事として、 成される、
    代謝のどれ彼な働きを成す、事へ対して、
   代謝員ら、の、 合体しおおせ得る度合いら、
   を、 より、 欠いてしまう、
    質と量で、 
    あるべき、代謝員らへの摂取ら、
    を、 一定な度合い以上に、
    成し付ける、 事が
     、
    人々が、 その、あり得る、
  健康性の度合いや、 命を失う、
   事への、 より、 最も、
  おおもとな、 要因性を成す、
    事なので、

      深傷   フカデ   、 を負う、などして、
   あるべき、代謝ら、の、 成り立ち、と、
  それらの、 互いへの、連携性なり、
    循環性なり、 が、 
   差し止められてられたり、

    ウィルス  、らなどにより、
    その、 健全な場合の、
   遺伝子ら、の、 特定の、
   タンパク質ら、を、 一定の順番で、
   それらの宿り居る細胞の内側の物らへ、
     作らしめる
     、 毎日の、
  随時な、 日常の仕事ら、が、
  おかしくされる以上の列辺   レベ    ;
    (   レベル   )       、 で、
    遺伝子らへの改変が、 
   成されてしまったり、 してある、
     場合らを例外として、

     そうした、  合体して、
  代謝らのどれ彼を個別に成す、
  代謝員らの、 その、 あり得る
   合体性と代謝性との重なり合う、
  度合い、 である、
  代謝ごとに、 差、の、あり得る、
  『   確率的  親和力   』 、 らでの、
     不足分ら、を、 
   より、  埋め余し得る❗
    、 以上の列辺で
     、
   タンパク質らのどれ彼らや、
 ビタミンら、か、 ミネラルら、の、
どれ彼ら、への、 より、
  余計な、 摂取ら、を、 成し付け得て、
   余計な、 糖質への摂取ら、を、
    より、 差し控え得れば
     、
  より、 通例な、 遺伝性らへの、
     主である人々は
    、
   当然に、 万病を、
   未然に、差し止め続け得たり
    、
  病ら、から、 健康性を、
  すっかり、 回復し得たりする、
   事に成る。

      また、 タンパク質らのどれ彼、への、
    構成材、な、 アミノ酸 、などへの、
   代謝ら、から、
『   ブドウ糖   』、 を作り出す、
  『   糖 新生   』、ら、な、
    代謝ら、を、成す、事が、
     より、 できなかったり
       、
      脂肪酸 、への、 代謝ら、から、
『   脳の細胞らへの栄養分にも成る   』、
『   ケトン体   』、 たちを作り出す、
     代謝ら、を、 成す、事が、
   より、 できなかったり、する
    、
    日本人たちにおいて、
  60数人に、 何人かの割合で、居る、
    特殊な、 遺伝性らへの、主である人々においては
   、
   その体の外部から、
  『   ブドウ糖   』、 や、
  『   ブドウ糖   』、 に成る、  炭水化物な、 糖質ら、
    を、 一定の度合いで、
    摂取し続けるべき、 必要性がある❗
    、が
     、
  そうした人々においても、
  その、 必要分らをこえての、
    糖質への摂取は、 
  より、 有害性らを成す、物であり、

     糖質への摂取では、 
  あり得る、 その健康性を成す事へ向けて、 
    制限が成されるべき、必要性がある❗  。

       また、
   やたらと、 甘い物らを、飲み食いし続けたがる、 
  あり得る、 『  異食い性の欲求性  』、 らは
   、
    あるべき、代謝員ら、への、必要分らを満たし得た、
   摂取らが、成される事で
    、
   より、 その精神系に、湧き立たなくなる❗
    、 ので   
     、
   必要な、 代謝員ら、を、必要な度合い以上で、摂取し得る限りは、
    甘味らが、 欲しくて、しょうがない
    、 といった、欲念らに、 悩まされる、 事態らを、
   その主らが、 自らに、成す事は、  より、 無くなる❗ 。

         逆に、 より、 必要性の、無い、
      糖質ら、への、 欲求性らは、
   より、 必要性が、 無い❗
      、がゆえに、
   より、 満たされ得ない❗
    、 性質のものであり、

      別の何彼らによって、
    差し止められない限りは
    、
  やたらと、甘い物らを飲み食いする、
    事のそれ自体は、
  その度合いを、いくら、積み重ねても、
  それを、差し止め得る、
   要因性を、 より、 成さない❗ 。

      ただし、   
     金属な、 コバルト   Co  、
  などから、  ビタミン    B12 
   、 を、 作り出して、
   赤血球らを成す、事、 などを、間接的に、 助けたり
   、
  その他の、 ビタミンらを成したり、
  過剰な、免疫性らを、差し止める、
    物質を成したり、して
     、
   その主な人々の、 あり得る、 健康性を、
    より、 余計に、 成しもする、
   腸内細菌たち、 への、
   栄養分に成る❗
    、 一方で
    、
     人の体の本当の内側へは、
  より、 吸収される、事が、 無く、
  より、 その主の血糖値を、
   上げる、 事も、無い❗
    、
   『   食物繊維、 な、 糖質   』
     、らは
     、
    より、 自他の、 あり得る、
   健康性を成すべき、 人々が、
  自ら、進んで、 摂取し続けるべき、
    筋合いを自らに成してある❗     】
           。 

   ・・まだまだ、見落とされている、
   逸話らは、 ある、と思います。
   皆さんも、是非、探してみて下さい。 

        真名文     ;
≒      漢文      、の日記は、
取っ付き難いですが、 
注釈の付いた物もあるし、

   √     歴史学の書籍や、『   史料総覧   』
   、 HPのデータベースも利用出来ます    ;
    、  を参考にしながらだと、 : 
  その人の持っている、価値観、
・先入観により、
史料の記述らへの解釈は、 
だいぶに、 違ってくるので、 
やはり、自分の目で確かめる事が、
一番です。

   何せ、相手は、中世の文章。 
基本姿勢は、 「 真名 マナ 文は、
読むんじゃない❗、 感じるんだ❗ 」 。 : 

    何より、 日記の全体を見通す、
事の、 最大のメリットは、 
その行間から、当時の世界を、
  『   履在  リア  』    ≒   『   リアル   』  、 に、
     体感できる事です。 

     抜き出された一文では、 決して、
得る事の出来ない物であり、それは、
遥かに、 真実に近い。 これは、 
本当に、読んだ人じゃないと、
解らない感覚❗。

    日記らと比べると、 教科書や概説書、
というのは、 所詮は、"  止まった歴史  "  。

    初めて、日記を、通しで読んだら、 
   きっと、 「   ああ、歴史って、 生きている人々の物なんだ   」 
   、 と、実感できる筈。 : 
  
    何百年も前の、 日記らが、
残されているなんて、奇跡にも近い、
と、 思いませんか? 。

     本来なら、最大限の敬意と誇りをもって、 
  守り伝えていくべき、貴重な宝らなのに
  、
    例えば、 
  「   万人 恐怖   」、と言う、 
   たった、一言だけを、
  文脈から、切り離し、
本来の意味から外れた、
印象を植えつける何て、
歴史への愚弄にも近い、
もったい無い行為です。

この国の宝、 この国の歴史、 
それらに向き合う時、私たちは、
知性と品性を失ってはならない、
と、 思います。 

義教将軍への悪評の出典として、
曲解されている、『 看聞日記 』、も、
一部の扇情的な言葉だけが、
一人歩きをし、あたかも、それが、
全体であるかの様に誤解されているのは、
悲劇だ。 : 

      『  室町殿  』、 の糸桜     ;
 ≒     しだれ桜      、 が満開の頃に、 
義教将軍が、 貞成親王を招待した日の、
酒宴と和歌会なんて、 良い逸話だ。 

「    一会之儀、 如法御快然也、
不存寄参、 祝着、 活計、 千万也    」、 
『 看聞日記 』、の、永享8年の3月9日 
≒ 
この会合では、 公方も、 実に、
ご機嫌で、 突然の招きだったが、
本当に、にぎやかで、楽しい物だった。 

※ この様に、 直に、 
義教将軍と関わった逸話らでは、
とても好意的な感想が記されているのが、
 『 看聞日記 』、の、意外な?特徴です。


       ☆     道義公方❗  ;     松により藤❗    ; 
    19/    8/5   1:55   ;
1441年の、 嘉吉の変の前後: 
傭兵らから常備軍の都市国家ら 32 ;
道義を成す室町殿ら
     2015/ 8/24   10:54:49   ;

      貞成親王は、 皇族員であるがゆえに、 
そう簡単に、自由な外出が出来た訳ではなく、 
その上、 
後花園天皇への実父だが、 自らは、
即位をしていない 、という立場は、
「  先例  」、らを重視する、 当時においては、 
制限の多い、非常に難しい立場だったし、
その様な環境にあって、 厳し過ぎる、 
と、
    (     より、 自らの社会的な役割や職務などを、
   ぞんざいに、 成し行うに至らしめもする、
     要因性を成す形で、
    ヒトの命や人格的な尊厳性などを、
   相応に、 どうでもいい物として、 
   素で感じ、 思い扱い宛てておりつつ、 
   その自らの知的共感性の欠け様ら、への、
  自覚認識の系らを構築する、
   能力性をも欠いている側の者らには、 
   より、そう感じられ得べくもある     )   、

    義教将軍からの処分に、 毎度に、
   泣かされる公家らの嘆きを、
   人伝に聞いていたら、
  大きな懸念を抱くのも、解ります。 : 

      しかし、     その、 「   恐怖   」 、 に、 
  「   薄氷を踏む時節   」 、なる言葉らが、 
    どれ程の意味で、使われているのか、 
    それが、筆者個人の見解なのか、 
   それは、  義教将軍へだけの物として、限られた事なのか、 

     ※ 実は、   割と穏健で、
  公武に人気の有った、 第4代の、
  義持将軍にも、この表現が使われている 。 
     そういった物を、
  その日記の全体を見渡したり、 
   同じ時期の他の日記らと比較する、  といった、 
   大局的見地から検討する事こそ、
  歴史研究の醍醐味であり、 
  そうして、真実相を導き出す過程に、
   歴史を学ぶ、最大の楽しさがある。 

        例えば、
    短気、と言われる義教将軍だが、
  上御所    ≒     まだ、未完成 、 
   へ、 移ったばかりの頃に、 造作奉行が、 
「    以外   無沙汰   緩怠    」    ;
   ≒     
    めっちゃ、 サボりまくり      ;
    、で、
   注意しても、聞かない…。 

    処罰するべきだが、 
新居へ越してきたばかりだから、 
    「   御堪忍   」   ; 
  ≒     ぐっと我慢      ;       、 した逸話もある。 

  『  満済准后日記  』 、の、 
  永享4年   ≒    1432年   、の、 
   2月29日。 : 

    ※ その翌年に、   僻事   ヒガゴト 
   、 のあった、 5人の造作奉行らに、
    ぶち切れては、いる。 

   『   看聞 日記   』、 の、 永享5年、の、
    10月20日。 : 

      特殊な処分の事例らに関して、 
    その処罰が、過剰か?、妥当か?
    、 を判断するなら、
   "  当時の社会通念  "   、に照らして、
     慎重に行うべきで、 勝手に、
現代の価値観で、 推し量ったら、それは、
   真実を探る、 「   研究   」、 ではなく、 
   主観的な、 「   感想   」、 でしかない。

     @      永享   えいきょう  、は、 
    日本の元号らの一つ。 
    正長 、の後で、 嘉吉の、前。 :
   1429年9月5日から、 
  1441年2月17日まで、の期間を指す。

   この時代の陛下は、 後花園天皇。 
   室町幕府の将軍は、 足利義教将軍。 :

     正長2年、の、 9月5日    ;
≒     ユリウス暦の、 1429年の10月3日      ;
    に、 
   後花園天皇の代始めにより、改元し、 
   永享13年の2月17日     ;
≒      1441年の3月10日     ;
   に、 
   嘉吉へ改元した。 

      ※ 例えば、
    "  儀式の場  "  、 で、 
   公方の義教氏を、 『   一咲   』   ; 
   ≒     『   一笑   』   、して、 
   所領を没収された公家について
    、 
   現代の考察では、 
  「     ほんのちょっと微笑んだだけで、 
   (    何の問題性も、無い筈なのに    ) 、
     処罰された    」 
     、 と、 
   "  一笑  "    、 の意味合いも 、
  "  状況  "    、も、 考慮せずに、 
  かなり、バイアスのかかった、
   解釈がされている事があるが
    、
   これについて、 
     貞成親王は、 
    「    誠、咲申者、   尾篭、不思儀也    」   ; 
      ≒ 
    笑うとは、無礼だ。  訳が、解らない。 

     『  看聞 日記  』、 の、 永享2年     ;
    ≒     1429年 、の、11月9日     
    、 と、 述べています。 : 
        侍女の密通     ;
  ≒        姦通       、に対する、 罰が、 
   男は、切腹で、   女は、流刑ってのは、
   時代を考えれば、 異常とまでは、言えないでしょう。 

     御所に祗候している女性ですからね。
    風紀の乱れは、大問題です。

    ※  祗候  しこう  、
…傍に仕える事 。 

そんな、 密通への厳罰の記事の一つ、
『 看聞 日記 』、 の、永享9年    ;
≒     1439年       、の、
11月6日の条   クダリ   、では、 
   貞成親王も、 「   猥雑言語道断也   」
   、 と、感想を述べているが、 
この日の日記には、 不思議な記述があり、 

   「    千本殿、比丘尼、 伊勢参宮下向、
為狂気御所へ参、種々事共託宣、 
所詮、悪将軍之由申云々、
不可思儀事、風聞、莫言莫言    」  。 

      狂った尼が、御所に参じて、
「    お告げじゃー❗、 悪将軍❗    」
  、 と、託宣した、とかいう噂   ウワサ   、だ。 
    内緒、内緒、 …って、 
  「   悪将軍   」って、 こんなオチだった。

   「   悪将軍   」、と在り、  流言飛語により、 
   反体制な運動らが喚起され、 誘発されて、
   万人が死ぬ羽目にも成り得る、
   事態を、 未然に防ぐべく、 
  万人の不安を煽る発言を、
  記録にも残り得る所々で、
   誰かの工作員らしく、
   していた人を処刑して、 
  「   万人  恐怖   」  、と在り、 

    手抜きクズの公家らと役人らが、
   「   薄氷を踏む思いをする   」
   、と在る、だけで
    、 
     室町殿の下で、
  秩序の中で、安寧を楽しむべき、
  天下の万人へ、 より、秩序立った、
   天下の状況を提供しようとした、
   義教将軍が、 公方   クボウ   、として、
   相応しい事らを、ただ、ひたすら、
   成し行っていた、 実態らしか、
   当時の資料らの記述らは、
   反映し得てはいない。 

  「    実は、 義教将軍は、全然、恐くなく、優しかった❗    」
   、 なんて言うつもりは、微塵も、無い。 

    めっちゃ厳しかったのは、事実でしょう。
    それでこそ、義教将軍です。

     しかし、 このイレギュラーな託宣での、 
     「   悪将軍   」、なる言葉     ;
≒       しかも、 不確かな風聞    ;
   、 を、あたかも、 貞成親王の発言の様に、
   扱って観せびらかす行為ら、 等は、
     フェアなやり方では、無い❗ 。 

     古来、 「   託宣   」  、といえば、 
   八幡大菩薩だったので、 
   八幡宮の神の前での、
  改まった神託だったのなら、 
  問題な事になったかも知れない、
    かつての、「   道鏡事件   」、みたいに。 

     道鏡師は、  "  道鏡師の失脚  " 、を狙う、 
  政敵に嵌められかけた、だけっぽいけど。 

    厳罰の事例らのみを、ひたすら列挙し、 
   処罰の必要性も、 その真意も、
   探究することを無しに、 
   憶測をすら交えて、 一向   ヒタムキ   に、
  悪し様に曲解する行為には、 もはや、
    歴史学に対する、良心が感じられません。

      それで描いた人物像に、どれほど、
   真実が反映されている、と言えるのか。 

     厳罰の事例らと、そうではない事例ら
   、 との、 整合性を取りつつ、 
    マクロな視点で、 私曲を交えず、
   最も、筋の通る仮説を模索していく、
    作業が、 真の歴史研究だ❗ 。 

       ※例えば、
…御所で供される食事について、
ある日に、 給仕の者が、 
  「   悪  ア  しく、したためた   」 、事が、
   大きな問題となり
    、 
「    関係者の数名が、   厳罰に処された上、
さらに、 厳密な究明が進められて、 
その他の給仕らが、   起請文    キショウモン     ;
  ≒     誓約書       、を書くに及んだ    」
    、 という、 普通に考えたら
    、 
     複数人の共謀による、
   将軍か、誰かへ宛てた、
  毒殺 、 などの企てを誘発しかねない、
    事件などは、
  厳罰を宛てられて、 当たり前でしょう。


      @     寺門      ;
    ≒      寺の内部での昇格         、出の、 
    天台座主   ザス    、の、
   異様な在任期間の短さ   : 

     第  28代、の、  明尊師、 
   長暦 2年 (  1038  )  、  に、補任して、
   三日目に、 山門大衆の反対で辞任。 

      34代、の、 覚円師、 
  承暦元年  (  1077  )  、の、2月5日に、補任。
    山門大衆が騒ぎ、 翌日に辞任。 

      39代、の、 増誉師、 
   長治2年  (  1105  ) 、の、 2月14日に、補任。 
    翌日に辞任。 

      44代、の、 行尊師、 
  保安4年  (  1123  ) 、の、 12月18日に、補任。
    6日後に辞任。

      47代、の、 覚猷師    ;
   ≒      鳥獣戯画で 、有名      、
   保廷4年  (  1138  ) 、に補任。 
    3日後に辞任。 

     50代、の、 覚忠師、 
    応保2年   (  1162  )    ;
    ≒      後白河法皇の院政と、 平家政権の頃    、 2月1日に補任。 
     2日後に辞任。 

     60代、の、 公顕師、
   文治6年  (   1190   )   ;
  ≒
    源頼朝    ミナモト・の・ヨリトモ  氏を、
   武家員らへの棟梁に頂く、鎌倉幕府が、 
    好い箱作ろう、の、   1185年 、に、
    後白河法皇から、 
一定の人々と地域ら、への、
  統治権を認められた後      、
   3月4日に補任。
      4日後に辞任。 

     公顕師 、以降は、 もう、この仕組みは、
  ダメだ、と考えたか、寺門出の座主は、
   なくなり、 摂家門跡や、
  宮門跡の時代となる。 

    戦後の総理大臣どころではない、
   寺門出の、天台座主の在位の短さ   : 

      @     寺門出は、 園城寺    ;
   ≒       三井寺    ミイデラ   、出     ;
   、 という意味では、ありませぬか。
     だから、 山門      ;
≒      比叡山の者ら      ;       、    から、
      攻撃を受けたと。 : 

     @      1441年、の、嘉吉元年に、
    室町幕府の、第6代の征夷大将軍の、
    足利義教将軍が、 赤松氏の侍に、
   赤松の屋敷での宴会中に暗殺された❗ 、
    『  嘉吉の変  』 、の後で、 
     室町幕府は、  幼少の将軍を補佐するべく、 
    畠山持国氏と、細川勝元氏とが、 
   交互に、 管領  カンレイ   、 として、
    執政する時代があった。 
       が、 内実は、 
   単なる権力闘争の感が強かった。 

     その様を端的に示す手紙が、
    南近江の豪族の、山中一族に伝わっている: 

          大上様      ;
   ≒     第6代の義教将軍の子で、
    第8代の征夷大将軍の、 足利義政将軍への母堂     ;
    、 に申し上げる次第です。 

       私、山中高俊は、 四十年間、 検断     ;
     ≒      警察業務      ; 
   、 の責務を果たしてきました。

       西芳寺の荘主代    ショウズダイ 
    、 が、殺害された時は、
   伊勢・伊賀まで、 賊を追いかけ、
     見事に討ち取りました。 

    その時は、 西芳寺から、直々に、
   恩賞を賜りました。 

     ですが、  伴帯刀   タテワキ   、が、
  悪事を企て、私に濡れ衣を着せて、
   裁判を起こしました。 

     畠山殿が管領の時に、 伴一族は、
    成敗を受けています。 
    その時の書状も持っています。 

      ですが、 今回の裁判では、 
    調べもせずに、
本領の宇田村を没収されました。 
    
     これは、間違いです。
きちんと、調べ直して下しさい。 

     もし、 調べ直して頂けるならば、
   ますます、 我々一族は、 
  幕府の為に、忠節を尽くす事でしょう。
   謹んで言上   ゴンジョウ  いたします    」 。  

     鈴鹿山道を、代々を、警護する、
    山中一族だが、 管領が交代して、
  就任している時期に、一族の本領である、
   宇田村の付近の私有地を没収された。 

   その近隣の豪族の伴一族が訴えた為だが、
   実は、この裁判は、 三年前に、
    伴一族による、言いがかりだ
  、 と、判決が下りている。 

     だが、 この裁判を、
   畠山持国氏が裁可した、というだけで、 
   細川勝元が、判決を翻してしまった。

      再審は行われずに、 山中一族は、
     没落の道をたどる。 

    第3代将軍の足利義満氏の時とは、
    違いすぎる、 管領の、
   自分勝手な振る舞いだ。

   この裁判の結果をうらみに持っていた、
    山中一族は、 応仁の乱で、
   六角氏側として参戦し、 
  西軍側の近隣な豪族の所領を攻撃した。 
  @     甲賀忍びの棟梁で出てくる名だね、
    山中氏に、伴さんは : 

   @      太平記巻八     ;
     ・妻鹿 メガ 、孫三郎、 
勇力事 、だから、 南北朝の頃の記事だ。 

     南北朝時代は、 一般的には、 
   鎌倉時代の後で、 元弘の変や、
建武の新政も、南北朝時代の事件、
として、 含まれる。 

       正確には、  1336年    ;
     ≒     延元元年   /   建武3年      ;
   、に、
   足利尊氏どのによる、
    光明天皇の践祚と、 
  後醍醐天皇の吉野への転居により、 
    朝廷が分裂してから、 
   第3代の室町幕府の征夷大将軍の、
    足利義満氏が、
   いざ、国、 合わそう、の、
1392年の、   元中9年  /  明徳3年     、に、 
   皇室らを合一するまでの、 
  室町時代の初期に当たり
    、
     朝廷は、 南朝が、 
  大和国の、吉野行宮   アングウ  、で、 
    北朝が、 山城国の平安京。

     異常 、 という言葉に、
   悪い意味を含めないが、 多分、
   近親交配による、
   遺伝子の系統らの重なり具合から、
   筋肉が、異常に発達し易い、
   体質だったのであろう   : 

  『     年の頃、 二十歳ばかりの若武者が、 
   ただ一騎、駆け寄ってきて、
    引き上げる途中の、 妻鹿   メガ 
   孫三郎と組み討ちをしようと近づき、
  鎧   ヨロイ  の袖   ソデ   に取り付いた。

     これを、 孫三郎は、物ともせず、 
    長い腕を繰り出し、
  この若者の鎧の総角を掴んで、
    左手の一本で、そのまま持ち上げた。

      その状態のまま、 馬を、  三町     ;
≒     約 3百メートル     、ばかりを駆けた。

    左手で掴み上げていた、この鎧武者を、 
    馬上で、  右手にポイし、 右手だけで、
   「   えい   」 、 と投げた。 

        投げられた武者は、 
   孫三郎の後に続いていた、 馬武者の、
  6騎の上を飛んでいき、 深田の泥の中に、 
   体が見えぬ程、埋まってしまった     』 。 

          伝言戯務   ゲム      ;
   ≒     伝言ゲーム      、式の、 
    歪曲に誇張もあろうが、 太平記に、
   何人かは、 出てくる化物らの中の一人、 
     な、 妻鹿孫三郎氏についての記事    : 

       @      妻鹿長宗氏の一族、
    人並み外れた怪力の男ばかり、
   17人の軍団。 恐ろしそうだが、
   16人は、 六波羅勢に討たれた   : 

        @      1441年の、 嘉吉の変 、を含む、
     嘉吉の乱の時に、
    城山城への後詰をするべく、
     白旗城から出陣した、 依藤     ヨリフジ 
   太郎左衛門     ≒     惟次    、氏。 

      しかし、 到着を待たずに、 
    城山城は落ち、 赤松満祐は、自害した。 

        間に合わなかった、 赤松側の、
       依藤氏は、 
   揖西郡は、千本村 、という所にある、
    辻堂へ、力なく、 走り上って、
      腹を掻き切った。 

         が、 
    はらわたを、 庭前の楠に投げつけ、
   眼を見開き、 歯を食いしばっていた所を、 
   たまさかに、 通りかかった、
  美作   ミマサカ   小原城主の、
   新免弾正   ダンジョウ   、 に見つけられ、
    首を取られて、手柄とされてしまった。

      新免氏は、 時の人から、 
   「   ひろい首也   」、と、
    誹  ソシ  られている。 

       依藤太郎左衛門氏は、 旧知の人により、
   弔   トムラ  われたのだが、 その人が、

「     梓弓   アズサユミ 
    播磨   ハリマ   の方の        人、とえは 
   ≒      人問えば     、 
    松より藤の     名こそ高けれ     」 
   、 と、 歌を詠んで、掲げたら、

     依藤   ヨリフジ   氏の亡霊は、怒り狂って、
   悪霊と化し、里の民を悩まし始めた。

      これは、堪 タマ らない、と、 
    ある僧を頼んで、改めて弔った上で、
    この歌を、

     「     あつさ弓         播磨の方の        人とえは 
            松により藤の         名こそ高けれ     」
     、 と、 直したら、   亡霊の怒りは、
    ようやく、鎮まった 
   ≒    『   播磨鑑   』  。 

      @       主家想いの亡霊というのも、中々に、 
    難儀なものですなあ。 

   @     どっから、松が出て来たのか
   、 と思ったら、 赤松の松か。 

    @      手直しした後の歌では、 
    赤松氏を暗に指す、 松 、により     ; 
    ≒       松 、のお蔭で    、 
      依藤氏 、という、
   藤の者が、 名が高い、 といった、
      意味になり
    、 
    前の歌では、 松に比べて、
    依藤氏が、 名高い❗ 、 といった意味に。 
      @      伏見宮貞成親王の、
    貴重な室町時代の記録の、
       「  看聞 日記  」 、 より、 
1418年の、 第4代の征夷大将軍の、
   足利義持氏の頃の、 応永25年は、
   8月晦日の記事   : 

  『     晴れ。  野遊びに出かける。
     田向常良三位    サンミ  、
     庭田重有朝臣    アソン   、   田向長資朝臣、
    壽蔵主などと相伴して、
     蒼玉庵へと行ったが、 
   そこの坊主が、 留守だったので、 
   敷地内の栗林に入り、 栗を拾った。
    無許可で。   面々、大いに悪行を成した。 

    それから、楊柳寺に行き、
    ここの庵に顔を出す前に、
   本尊である観音像を拝見していると、
    そこへ、 坊主がやってきて、
    盃事となった。    三献も酌み交わした。 

     その後で、帰宅。   その後に、
   蒼玉庵の坊主が、酒を少し持参し、
   「    知らなかったとは言え、
  私が留守の間にお尋ねになった、 とか、 恐れ入ります    」
   、 等と言いに来た。 

     そこで対面し、「    こちらこそ、
栗拾いの乱暴狼藉、すまなかった    」
   、 と、 謝り、盃を与える。
     すると、退出していった     』   : 

   @    わざと、大げさに言った、
     冗句   ジョーク   、 だよ   : 

  @     坊さんなのに、 普通に、しれっと、
   酒を持参すんのな。 : 

  @      中世の銘酒の生産地といえば、  寺社だぞ❗ 。
     寺社は、それを売って、金を稼いでいた。

   @       現代の寺社への、 『    鏤想  ルソー  』   ;
    ≒      『  イメージ   』     ;        、 は、
   江戸時代や明治以降に定着した物だね。


       ◇     熱中症への対策な事ら❗     ;      深部   ミベ   体温を下げる❗  。
          19/   8/3  16:45    ;

      ◇     水冷式な、 ヒトの体❗  ;
       熱中症への対策な事ら❗   ;

      水分   H2O   、と、  ナトリウム  Na 
   、 とを、  バランスよく摂取する、必要性   ;
            8月18日   ;
      水冷式のヒトの体だが、 
    水だけを飲んでも、   ナトリウム    ;
    (    塩を構成する、
   塩素の相棒らの一種     )       、 などの、
   塩分、な、 要素らを合わせて取らないと、 
   塩分などと釣り合わない分の 、  『   水   』    ;
          ≒       『    H2O 、 たち    』      ;  
      、 は、
    排出されてしまうので、 
    水による、体を冷やす働きが不足し、 
     体に、 熱がこもり過ぎる、 
   『   熱中症   』 、 に成り得る。 

     堀江正知教授は、説明する。 

    「     人間は、 皮膚からの、
    “  熱の放出  ” 、 と、  “  発汗  ”  、 という、 
     2つの方法で、 体温を、
    一定に保っていますが、 気温が、
   体温より、高くなると、 
    発汗するしかない❗  。 

     水分への補給を怠ると、 
    体内の水分量が、 減って、 
    脳の温度が、上がり❗  、 
   体の中の熱を放出できず、
     熱中症になってしまうんです    」 。
      症状は、  色々で、 
   めまいや頭痛を引き起こしたり、
   極度の脱力状態となったり、 
    深刻な場合は、 突然に、意識を失って、
    死ぬ事もある。 
  昭和大学医学部救命救急センターの、
    三宅康史准教授によると、 

        夏場は、 
     体を締めつけない、 
   ゆったりシルエットの服が、いい❗ 、 という。 

      「     救急で運び込まれた場合、 
    患者の衣服をゆるめるのは、基本です。 
     また、 ボタンは、上まで留めず、 
     裾も、外に出して、 風通しよく❗ 。 
    内側には、 吸湿性のある、
    インナーを着ると、 
   発汗し易くなる❗
    、 ため、 
   気化熱によって、  体温を下げる❗ 、
      効果もあります     」   。
 また、   重要なのが、 水分の補給❗ 。 
     体の水分らの量は、
   大人が、  約   60 %  、 
   子供は、   約   80 %  。 

      大量の発汗などで、水分が 、
  5 %   、が失われると、 脱水症状に陥る。 

「     脱水症状になると、
    血液の循環が滞り、 
     放熱が、
   うまくできなくなります。 

    こまめな、  水分への補給で、予防を❗ 。 
     30分毎に、  百50   〜   250   ミリ・リットル   、 
     1日で、 1・5   リットル  、 
    程度を、 飲み物で摂るべき、
    必要性があります     」  。

       8686人 ―― これは、 
    7月の最終週の、 1週間で、
   全国の、   熱中症により、
    救急搬送された人数。 
   うち、 3週間程の入院を要する、
    重症な患者らが、  1・9  %     、
     0・2   %     ;      (    16 人     )    、    が、亡くなっている。 

     例えば、  こんな事は、ないだろうか。
     炎天下を歩いていると、 額や脇、 
   背中から、 汗が噴き出し、 
  急いで、 家に帰って、クーラーをつける。

     涼しい風に、ホッとした瞬間、 
   頭がクラクラッと…。 
   実は、これも、熱中症かもしれない。 
       池田宇一教授が語る。 
   「     熱中症には、 
   軽症、 中等症、 重症の3段階があり
    、 
      軽症の、  筋肉の痛み、や、硬直は、 勿論、 
    中等症の、めまい、や、頭痛も、
    日常的にあるので、見過ごしがちですが、 
   暑い日に、そうなったら、 
  室内に入ったから、 といって、
     安心できません。 
    脱水状態に陥っているのに気づかず、 
    更に悪化する、 可能性もあります     」  : 
 
   「     水分を補給しつつ、 濡れたタオルで、
    体を拭いて、体温を下げます。
     特に、  頸動脈  、 という、
   首に流れる、 太い動脈を冷やすと、
体全体が冷えるので、 効果的です    」 : 

    それでも、 治まらなかったり、
   吐き気や、意識が朦朧な状態になった場合は、 
   「     即、医療機関へ❗    」  。 : 

   最大の予防策は、 水分を、
  こまめに補給する❗
    、 事であり
    、  
  「   飲む点滴   」 、とも呼ばれる、
    熱中症に効く、 飲料を飲む事だ❗ 。 

     女子栄養大学の管理栄養士な、
     榊玲里さんが解説する。 

    「     体内の水分や塩分が不足すると、
    色々な機能が低下し、 
    結果、  体の熱を上手く発散できず、 
  体内に、 熱がこもり、
    熱中症を引き起こす。 
   ただ、 水を飲めば、いい訳ではなく、
   水分、と、 ナトリウム   ; 
  (   塩分   )  、 を、 バランスよく、
      摂る事が、重要です    」 。


       ◇     あり得る、 熱中症 、を、
     未然に、 防ぐ上でも、
   あるべき、 代謝らを成す、為の、
   あるべき、代謝員らへの摂取ら、
     において、
    より、 漏れら、を成さない様にする、 
    事が、 決定的に、 重要な事だが
     、
      それに、合わせて、
    上に述べられた様な事ら、や、
    脳から、 より、 遠い部位である、
   手先や、足先を、
   日頃に、 ひんやりとした、
  水へつけて、 ゆったりと、冷やす、
  といった事を、 折に触れて、
   やり付けるようにする事も、
     効果を成す❗ 、  という。

         
       ★     日本人たちへ、
   所得の一定な度合いの、金額な数値らが宛て付けられる事を、
   無駄の費用の発生、 と、 悪宣伝し、
   日本の中央政府の財政における緊縮、と、増税を成す事を、 
 反日員らから成る、与野党の者らと、財務省の役人めらが、
  一致協力して、推進して来ており
     、 
  それを、 反日なカルト信仰員らが、支持し、黙過もし、
   煙幕も張って、  より、
   世論の焦点に成る事を防ぐ❗ 、 実態を成している。


      ◆◇       シナとの密約がある❗、
   アメリカの裏の実態を明かした、
   アメリカの要人からの直言❗  ;
   2016/  1/30 1:9:30  ;

     Pillsbury氏 : 
  ニクソン政権から、対シナ政策を担当。 
  今は、 国防総省の顧問で、
  ハドソン研究所の、中国戦略センター所長❗  ;

          ☆      三橋貴明氏❗   ;

     麻生財務大臣に質問「放漫財政って、何?」

       2020-8-8    8:40:52     ;
「落選させるべき自民党議員(前半)」三橋貴明 AJER2020.8.4
     皆様、是非とも、メルマガ登録を❗
 
稲田朋美衆議院議員に質問 「理念なきバラマキ」って何? [三橋TV第272回]

 
 本田悦郎氏や安藤裕衆議院議員の
「消費税減税」提言に対し、
早速、政権中枢から
牽制が来ております。

『消費税率、簡単に切り下げる話には与しない=麻生財務相
 麻生太郎財務相は7日の閣議後会見で、
一部与党議員らが提唱している消費税率の引き下げに関して、
「簡単に切り下げる話には与(くみ)しない」と述べた。

 麻生財務相は
「公債依存率が
   56.3  %
   と、リーマン・ショック時を上回り
  財政は厳しくなっているのは間違いない事実」と指摘。

その上で
「財政を放漫なものにおくわけにはいかない。
財政の持続性確保は重要な問題で、一概に
消費税を簡単に切り下げる話に与しているわけではない」と語った。(後略)』

 ちなみに、安藤裕衆議院議員は
麻生派だったりします。
 というわけで、すっかり
財務省の飼い犬と化した麻生財務大臣に質問。
「わんわんっ!」と答えて下さいね。

「放漫財政って、何?」
「財政の持続性って、何?」

 この種の抽象用語で財政を語る者は、嘘つきか、バカか、
バカな嘘つきの何れかです。麻生財相は、どれ?

 わたくしが定義するならば、

◆ 放漫財政:

インフレ率が適切な水準を超えているにも関わらず、
財政支出を拡大しようとすること

◆ 財政の持続性:

国債金利やインフレ率が適正水準で推移し、
国民経済の供給能力が拡大していくか否か

 になります。

 今のレバノンを見ていれば分かるでしょうが、
  財政が
   債務不履行等なしで継続するか否かは、
  供給能力で決まります。

   レバノンが財政破綻に陥ったのは、
供給能力が乏しすぎるためです
 (何と、食料の八割が輸入でした)。

 自分の頭で真剣に考えたならば、
反論は、不可能ですよ、麻生財務大臣。

 ちなみに、「適正なインフレ率の水準」について、わたくしは、
「   GDPデフレータベースで、
   2 %   」
 と、答えていますが、
  以前にも書いた通り、これは
  1980年以降の、  フィリップス曲線
   、が、 基になっています。

     80年以降の日本は、
   インフレ率が、 GDPデフレータベースで、
   2  %   、 になると、 完全雇用となり、
    それ以上、  インフレ率が上昇しても、
     失業率は、 改善していません❗ 。

 というわけで、  過去のデータに基づいて、
  「  2 %  」 、 と言っているだけで、 実際に、
   インフレ率 、 が、 2 %   、 を達成した時点で、
   「  充分か、不充分か  」、は、 分かりませんからね。

    経済は、常に、不確実なのです。

 不確実である以上、
   経済政策は、常に、機動的でなければならない。

 恐慌期であるにも関わらず、抽象論を振りかざして
  緊縮路線を推し進めようとする政治家は、間違いなく
  「国民殺し」です。
 
【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】

 
 2019年度のデータが揃って参りましたので、
中央政府の、純負債、と、 長期金利
   (  新発十年物国債金利  )、
   インフレ率のグラフをアップデートしました。

【日本の中央政府の純負債(左軸)と長期金利・インフレ率(右軸)】


 2019年度末時点で、プライマリーバランスの赤字、つまりは
   「政府の新規貨幣発行」の蓄積である
   「中央政府の純負債」額は
    872兆円。

 対して、長期金利とインフレ率は共に
    (ほぼ)ゼロ。

 恐ろしいことに、2018年度から19年度にかけ、
政府の純負債は、
   (わずか!)7兆円しか増えていません。

   いや、冗談抜きに、安倍政権は
  ガチで
   PB黒字化を目指し、
   国民を殺しにかかっていました。

 お分かりでしょうが、
「誰かの純負債   =   誰かの純資産」
 です。

    政府が、 純負債を増やす❗
   、ということは、
   その反対側で、
   民間の主権者たちの、 純資産が増えます❗ 。

     PB黒字化とは、
   政府の純負債を減らすこと❗、 な、 
   そのものなので
   、
   「   お前たち国民の、  財産  (  純資産  )を減らしてやるっ❗
   貧困で苦しめ❗  」
   
    、という
    目標なのでございます。

 麻生財務大臣は、8月4日の閣議後記者会見で、
「(PB)黒字化は
    7年度との(政府)目標を直ちに作り変える必要はない」
 と語っています。

      国民殺します宣言でございますね。

 ところで、長期での金利、と、インフレの率、が、 共に
     ゼロ❗ 
   、 ということは
   、
   日本は
   放漫財政どころか
  「緊縮財政」であることを示しています。

   (放漫の対義語は緊縮)。

   緊縮財政で、
   国民経済の供給能力を破壊し、
    将来的な財政の持続性を危うくしている政権が、
   「   放漫財政で財政の持続性に問題がある   」
   、とか、やっているわけです。

 まさに、喜劇の国。

 というわけで、麻生財務大臣にもう一度、問います。
 あなたの定義する「放漫財政」とは、何なんですか?
 
今後も三橋貴明の活動をご支援下さる方は、
  ↓このリンクをクリックを❗ 。


        ◇◆       日本人たちは、   より早くに、
  日本人たちの足元の、  地下へ、   
  より、  どこからでも、 
  より、 速やかに、 落ちついて、
  歩み降りてゆき得る、  避難経路ら、と、
  より、 快適に住める、  避難所らとを、
  作り拡げてゆく、    
  公共事業らを成す事により、

    日本の、    財務省の役人ら、と、 
  与野党の、 主な政治家らとが、

  英米のカネ貸しらの主張する事らを、
  そのまま、自らもまた、 
 オウム返しにして、主張し、
  実行もする事において、

    日本政府の財政における  、緊縮   、  
  を、 繰り返し、 成す事を通して、

   彼らへの、 主  アルジ の立場にある、   
  日本の主権者としてある、日本人たちへ、 
   物価だけではなく、   
 その労働らへの賃金らの水準へも、 
 より、  押し下げる向きへ圧力をかける、
 要因らの系である、
 デフレ不況性   、を、  
 押し付け続けて来てある、

   その、 デフレ不況性 、を、 
  解消し去ってゆく、 と共に、
  日本人たちの防衛性の度合いを、
  飛躍的にも高めてゆくべき、  
 ぎりぎりの状況にも、 ある 。

    地上を襲い、  地上をおおい得る、
  あり得る、 災害らへ対して、 

   地上に、  避難所らや、 
  避難経路らを設定して、
  日本の主権者たちを、 
 それらへ誘導する事は、

   人食い虎どもの住む、   密林へ、 
  わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
  行為であり、

   日本の主権者としてある、  
  日本人たちの一般    、へ対して、  
  個々の日本国民においても、   
  執事なり、  召し使いなりの立場にある、 
  公務員などの、 者らにおいても、 
  成す事が、   許されない  、 
   行為なり、 態度なり、 であり、

   日本人たちの一般の、  あり得る、
  福利ら、を、  より、 能くも、 
  最大限にも、 成す事を、 約束して、
   日本の社会に、  存在し、  存続する事を、
  日本国民たちの一般から、  許されてある、
  筋合いにある者としての、   義務 、 に、 
 違反性を成す、  行為であり、 

   それが、   作為型では、 無く 、
  無知性と痴愚性とにもよる、  
 不作為型の、  行為なり、 態度なり、
 であっても、 
  それへの責めを負うべき、 筋合いを、 
 その主らの側に、  成すものである事に、 
  変わりは、  無い。

     日本人たちには、核武装❗、と、
  地下避難網ら❗、が、より、
   日本の内外に、本格的な、
   平和性らを成し付け得てゆく上でも、
   必要❗。

    この事らを、 より、 日本人たちへ、
  伝える措置を自ら成さない、 者らは、
  より、 反日員としての、
  負の度合いを、 自らへ宛てて、
  観積もらせる、 筋合いを余計に成し、
  より、 伝える措置を自ら成す主らは、
  より、日本人たちの一般の、
 足しに成り得る向きに、 働き得た主として、
  正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、
  観積もらせる、 筋合いを成す。

    差し引きで、 より、
 どちら側であるかの、度合いを観積もられ、
    その度合いらに相応しい処遇を、
   宛てられるべき立場にも、
   誰もが、ある。

       この事らの発信と履例への参加をもって、
   日本人たちの一般の側に参加し、
    その社会の主権者たちの一般の側に参加する、
   主としての筋合いを自らに成す、 もの、とし、
     
      自らの社会の過半数が参加してから後に、   
   参加する行為らを成す者らと、
   それをしない者ら、については、
    その前に、参加し得てある主らによる、
   審査により、
   その成ると成らぬとの選別が、
   成され得る、もの、 ともし得る、
      筋合いが、 この事には、ある❗  。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント